「宗教」ってなんだろう?の答え

内山興正老師の「坐禅の意味と実際」を読んだところ、
その序文に、私が疑問に感じていたことの、身も蓋もないくらい
直接的な答えが書いてあり、大笑いしてしまいました。

「たしかに仏教は、日本の過去において、ほんの一握りの
えらばれた人々の中に、深く浸透したことは事実だと思います。
それなればこそ、仏教は現代のわれわれにまで伝えられて
きているのですから。―しかし「日本は過去において仏教国
であった」などと、今の人が考えるほど、真の仏教が日本人
社会全体にひろく普及し、浸透したことは一度もなかったことは
事実です。いやむしろ日本人全体としては、仏教という名のもとに
真実の仏教とはおよそ無関係のことを、あまりにも沢山
行いすぎてきて、ついに仏教そのものとは完全にすれちがって、
出逢わなかったのだといった方があたっているでしょう。」

以上の文章の「仏教」を「神道」に置き換えても、
ほぼ同じことが言えるんじゃないでしょうか。

「なーんだ、日本は『仏教国』なんかじゃなかったんだ!」と
気づいたら、もやもや感が一気に吹っ飛びました。

チベット仏教、テーラワーダ仏教、ティク・ナット・ハン師の
ベトナム禅など、20世紀後半以降に欧米経由で「輸入」
された仏教に人気が集まることも、内山老師はお見通しで、
そのことも序文には書かれていました。

学び始めた今だからこそ言えることですが、一生の間、
仏教あるいは仏道と一度もまともに出会うことなしに、
死んだ後=葬式の時だけ、「ホトケ様」になるなんて、
ものすごーくもったいないことだと思います。

「坐禅の意味と実際」の本そのものは、少々クセのある
文体のため、私にはちょっととっつきにくかったのですが、
「身も蓋もない」くらいの率直さは、坐禅ひとすじに
生きてきた証でもあるように感じ、参考になりました。

【芋づる式Book List】

坐禅の意味と実際―生命の実物を生きる
内山 興正
4804611975

手渡し、手放す

先週末、非営利団体セブン・ジェネレーションズのスタッフとして、
2008年12月以来続けてきた種々の業務の引き継ぎが、
すべて終わりました。

今後は、スタッフとしてではなく、ひとりのファシリテーターとして、
この活動には参加していくつもりです。

最初は「お手伝い」感覚で、途中からはスタッフとして、
チェンジ・ザ・ドリーム シンポジウムを日本に展開する
活動に携わってきました。去年春頃からは、NPO法人の
設立準備も始まり、その中心メンバーとしても動いてきました。

この間に、ファシリテーターは1人から77人に増え、
延べ登録参加者数は1000人を目前にするまでに、
広がってきました。

この活動そのものの、また代表の榎本英剛さんの
目指すところが、私個人のミッションと近いこともあり、
それを中心的立場で動かしていけること、ゼロから
新しく生み出していけることに、大きな喜びと楽しさ、
生き甲斐を感じていました。

ところが、去年夏頃からストレスのせいなのか、
心身の不調を感じるようになり、11月頃に
ついにピークに達してしまいました。

その時、気づいたのです。

私自身が、人生の様々な面において持続不可能な状態で、
「持続可能な未来を創る」ための活動を続けるのは、
本末転倒だと。

そうは言っても、未練も当然あり、しばらく葛藤し悩みましたが、
すべての業務を引継ぎ、役員からも退き、手放す決心をしました。

引継ぎのミーティングを終えてみて、今あるのは、
「やりきった!」という達成感と安堵感です。

私が駅伝の第1走者だったとしたら、信頼できる第2走者に
「バトン」あるいは「たすき」を渡すことができた、
そんな安堵感です。

「引継ぐ」と言っても、受け取ってくれる人がいなければ、
できることではありません。私ひとりが担当していた業務を
内容別に整理して大きく2つに分け、2つのチームに引き継いだ
のですが、どちらの担当者もこころよく受け取ってくれました。
ほんとうに有り難いことです!

これからも、共感するたくさんの人が引き継ぎ、
受け取っていってくれることを願うとともに、
志とビジョンが続いていく未来に、
エールと祝福を贈ります。

そして、私自身は過去に執着を持たず、
Let-go(手放し)して、完了しようと思っています。