[Book]「奇跡の脳」

Yoggy Instituteのセルフケア・トレーニングコースを
受講しました。

YogaのAsana(アーサナ、ポーズ)を機能解剖学の見地から
部位別に学んでいくコースで、様々な気づきとインスピレーションを
得られました。

一生懸命スタジオに通っていてもできないAsanaがあるのは
自分の努力や経験が足りないから、あるいは元々の身体の
性質だから仕方ない・・・などの思い込みがスッポリ外れました。

自分の身体、特に筋肉の性質や機能を知ることで、無理なく、
無駄なく、動くことができることも学ぶことができました。

さて、このコースの事前課題として課題図書を読み、感想を
レポートとして提出するというものがありました。

せっかくなので、こちらのブログでも紹介します。

☆  ☆  ☆

奇跡の脳」の著者、ジル・ボルト・テイラーさんについて
知ったのは、2008年春頃にコーチングの仲間からTEDでの
プレゼンテーション映像「Jill Bolte Taylor’s stroke of insight」を
紹介されたことがきっかけでした。

映像を初めて見た時、震えるほどの感動を覚えました。

特に最後のくだりの言葉、

「(右脳マインドと左脳マインドの)どちらを選ぶ?」

「私たちがより多くの時間を右脳の深い内なる平和のうちに生きることを選んだら、より多くの平和が世界にも投影され、この惑星はより平和になると信じています」

には深く感激しました。

TEDのプレゼンテーションより先に書かれた「奇跡の脳」にも、
この映像で語ったこの願いはこめられていると思います。

今回改めて「奇跡の脳」を読み、脳卒中と回復のプロセス、
脳を含む身体の細胞の仕組みと働き、そして彼女が
得た気づきや洞察について、より詳細に知ることができました。

私がもっとも印象的だったのは、彼女が「右脳マインド」と
呼んでいる「今ここ」に存在し、平和ですべてのものと
ひとつながりである境地はすべての人が生まれながらにして
持っていて、そことつながるのは意識さえすれば誰にでもできると
語られていたことでした。

その逆もしかりで、言語や計算能力などに優れた「左脳マインド」を
うまく役立てることも可能なのです。また、私たちには
「右脳マインド」と「左脳マインド」のどちらを優位にするか
選択することもでき、さらには右脳と左脳のバランスを
とることこそ肝要なのです。

家族や生まれ育った境遇や環境など自分ではどうしても
変えられない事実があったとしても、それについてどう感じ、
どう考えるかを選ぶことができるということは、自由を得ることでも
あります。

脳卒中からの回復のプロセスについては、健常者の私たちが
ふだん「あたりまえ」と信じていることは決して「あたりまえ」ではない
ことについても知ることができ、感銘を受けました。50兆個を超す
という身体の細胞が複雑に作用し関わり合っているからこそ、
私たちは生きて動くことができることに、私も感謝を覚え、
謙虚な気持ちを得ることができました。

奇跡の脳
ジル・ボルト テイラー Jill Bolte Taylor
4105059319

一日一善

1月30日(日)のBTCで出た宿題は、「一日一善日記」。
文字通り、1日にひとつ「良いこと」をして日記につける、
というものです。

「どんなささやかなことでも良い」とのことだったので、
早速カウントを始めてみました。

例えば、
・後から来る人のためにドアを押さえておく。
・洗面所で手を洗った後、シンク周りの水滴を拭く。
・つけっ放しの照明のスイッチオフする。

ところが、自分には習慣になっているようなことまで、
「良いこと」とカウントしてよいのか?という疑問が
沸いてきてしまいました。違う言い方をしてみると、
「一善」と呼べる「良いこと」はどんな行いなのか?
という問いです。

「良い」か「悪い」かの価値基準は文化・倫理・宗教的に
異なり、人それぞれです。

この問いをしばらく持っていて私が思いついた定義は、
「『良いこと』とは、その行為をすることによって、他者に
なんらかのポジティブな結果を生み出す行為」です。

ここで言う「他者」は人間だけに限らず、動植物を含めた、
環境も含まれます。

この定義においては、自分ひとりだけが満足して成果を
得るような行為は「良いこと」にあてはまりません。

もちろん、他者だけでなく、自分も副産物として良い結果を
得られることはあり得ますが、自分だけのために見返りを
求めて行う行為は「一日一善」ではないわけです。

小難しく考えてみましたが、要は、誰かのために、
自分にできる小さなことを積み重ねるのが
「一日一善」なのかな、と思うに至りました。