私がシヴァナンダ・ヨガTTCに参加したわけ

2012年3月から4月にかけて参加した
Sivananda Yoga Teachers’ Training Course
(以下、シヴァナンダ・ヨガTTC)について、
何回かシリーズで書いていきます。

1回目の今日はシヴァナンダ・ヨガTTCの目的について。

「ヨガのティーチャー・トレーニング・コースなんだから、
目的なんてヨガの先生養成に決まってるでしょ?」
と思ったあなた、それがちょっと違うんです。

最初のシヴァナンダ・ヨガTTCは今から43年前の1969年に、
インド人僧侶のスワミ・ヴィシュヌデヴァナンダ
(以下、スワミジ)によってカナダ東部の
ヴァル・モリンで開催されました。

それより少し前のこと、バハマ・ナッソーにある
シヴァナンダ・アシュラム・ヨガ・リトリートで
スワミジが瞑想していた時に見た、あるヴィジョンが
すべての始まりでした。

それは、巨大な火の玉が落ちてきて、人々が恐怖のあまり
逃げ惑っている、というヴィジョンでした。

スワミジはこのヴィジョンについてすぐに理解は
できなかったものの、当時の世界は冷戦の最中であり、
核戦争が実際に起こる可能性にさらされていたこと、
また過去の経験からして、彼が見たヴィジョンは
何らかの啓示であり、やがて現実になる可能性が
あることを直感したのでした。

このことから、スワミジはT.W.O. (True World Order)を
立ち上げ、世界平和の促進と理解を進めることを
その目的としました。

さらに、スワミジは、未来のリーダーをYogaの規律に
そって育成する必要性を痛感しました。

それは、自己を律することができ、内なる平和に
目覚めた人こそ、真の人類愛や平和を実現できるからです。
個々人の心の内が平和でなければ、社会全体にも
平和が訪れることはないのです。

こうしたことを背景に、シヴァナンダ・ヨガTTCは
始められたのでした。

私のシヴァナンダ・ヨガTTCへの参加目的は
ごくシンプルなもので「Yogaの学びを深めること」、
でした。

昨年1月にヨギー・インスティテュート
ベーシック・トレーニング・コース(BTC)を
受講した後、Yogaの学びをもっと深めたいと
思うようになりました。

その方法を模索するなかで、意識にのぼったのが、
シヴァナンダ・ヨガでした。

BTCのテキストだった「ヨーガ本質と実践」は
シヴァナンダ・ヨガをベースとしたものでしたし、
BTC仲間の一人がタイで開催されたTTCに参加したと
聞いたことも一つのきっかけでした。

昨年9月頃からシヴァナンダ・ヨガ東京センター
行くようになり、インドで開催されるという、
日本語サポート付きTTCが視野に入ってきました。

1ヶ月もの間、仕事を休めるかどうか躊躇もして、
かなり考えましたが、最終的には「今、行くべきだ!」
という心の声に従って参加を決めたのでした。

インドでのTTCが始まってすぐ、メイン・レクチャーで、
スワミジの生涯と共にTTCの本来の目的を聞いた時、
腑に落ちた感覚がありました。

ここ数年、Socialな活動に関わるなかで、目指していた
究極の目的は「平和な世界をつくること」でした。

ここでいう「平和」には、おそらく様々な定義が存在します。

goo辞書による定義は、

1 戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること。また、そのさま。
2 心配やもめごとがなく、おだやかなこと。また、そのさま。

だそうです。

私が思う「平和」は、人が明日への希望をもって
生きることができ、自分自身にも日々の暮らしにも
満足している状態です。

私もそんな平和な状態に一歩ずつでもいいから
近づくための一助に微力ながらでもなりたいと願い、
活動してきました。

一昨年、がんばり過ぎてバーンアウト寸前になり、
Socialな活動への関わりを控えるようになって以来、
良心の呵責を感じ続けていました。

Yogaを学ぶこと伝えることも、平和を広げる方法
なのだととらえることで、ずっと抱えてきた心の重荷を
手放すことができたのです。Yogaを学ぶことを
自分で承認できた、とも言えますね。

今思い返すと、意図していなかったとはいえ、
このことだけでもTTCに参加した目的を
果たせたように思います。

Detoxの中身

一昨年の夏頃から「Detox(浄化)」が、最大の関心事です。

きっかけは夏の暑さだけでない、だるさや重さを感じ、
「『なにか』が溜まってる!」という直感を受け取ったことでした。

それ以来、Yogaレッスンに定期的に通うようにしたり、
食べるもの・飲むものを変えたりするなど、
主に外側からのケアに励んできました。

昨秋からはAyurvedaカウンセリングを受けたり、
新たにコーチをつけ、内面のケアも心がけるように
なりました。

昨年末からは整骨院にも通うようになりました。今までほとんど
整体などには通ったことは無かったのですが、右足首の捻挫が
なかなか治らず痛みが続いていたため、意を決して飛び込んだのです。

そうしたら、まずは叱られました。

「なんで早く来なかったの!
足首だけじゃなく、肩も背中も腰もバリバリ固いじゃない。
これじゃ足首だけ治療しても治らないよ。」

それからというものの毎日のように通い、今はすこし良くなってきました。

そして、整骨院に通いはじめてから、ある大きな気付きがありました。

整体師さんが施術をしながら、

「痛いなら痛い、熱いなら熱いって言いなさい!
我慢してもちっともイイことないよ」

と言ってくれたのが、私には大きな救いになったのです。

私は痛くても痛いと言わず、我慢して痛みに慣れるようにし、
無かったことにしようとしていたことに気付いたのです。

身体の痛みだけでなく、心の痛みも同じ。
感じないふり、平気なふりを続けていたのです。
生来、「がんばり屋さん」なのですよね・・・。

今にして思えば、こういう「痛み」も溜まっていた『なにか』の
ひとつです。

あれこれやってきたことがようやく功を奏してきたのか、
今年に入ってから軽さやかろやかさを感じ始めました。

今はまだ、どちらかというと、心の軽さなのですが、
これだけでもじゅうぶんに嬉しいです。

もう少しケアを続けていって、からだの軽さも感られるよう
目指していきます☆