内山興正老師の「坐禅の意味と実際」を読んだところ、
その序文に、私が疑問に感じていたことの、身も蓋もないくらい
直接的な答えが書いてあり、大笑いしてしまいました。
「たしかに仏教は、日本の過去において、ほんの一握りの
えらばれた人々の中に、深く浸透したことは事実だと思います。
それなればこそ、仏教は現代のわれわれにまで伝えられて
きているのですから。―しかし「日本は過去において仏教国
であった」などと、今の人が考えるほど、真の仏教が日本人
社会全体にひろく普及し、浸透したことは一度もなかったことは
事実です。いやむしろ日本人全体としては、仏教という名のもとに
真実の仏教とはおよそ無関係のことを、あまりにも沢山
行いすぎてきて、ついに仏教そのものとは完全にすれちがって、
出逢わなかったのだといった方があたっているでしょう。」
以上の文章の「仏教」を「神道」に置き換えても、
ほぼ同じことが言えるんじゃないでしょうか。
「なーんだ、日本は『仏教国』なんかじゃなかったんだ!」と
気づいたら、もやもや感が一気に吹っ飛びました。
チベット仏教、テーラワーダ仏教、ティク・ナット・ハン師の
ベトナム禅など、20世紀後半以降に欧米経由で「輸入」
された仏教に人気が集まることも、内山老師はお見通しで、
そのことも序文には書かれていました。
学び始めた今だからこそ言えることですが、一生の間、
仏教あるいは仏道と一度もまともに出会うことなしに、
死んだ後=葬式の時だけ、「ホトケ様」になるなんて、
ものすごーくもったいないことだと思います。
「坐禅の意味と実際」の本そのものは、少々クセのある
文体のため、私にはちょっととっつきにくかったのですが、
「身も蓋もない」くらいの率直さは、坐禅ひとすじに
生きてきた証でもあるように感じ、参考になりました。
【芋づる式Book List】
坐禅の意味と実際―生命の実物を生きる
内山 興正