美術家・田窪恭治さんと話したこと

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5月1日と7日に、東京都現代美術館で開催されていた
田窪恭治展 風景芸術」に行ってきました。

田窪恭治さんの存在を知ったのは1996年頃のこと。

当時勤務していた外資系医療機器メーカーでの仕事で
お世話になっていた広告代理店のアートディレクターさんが
田窪さんの大学時代からの友人であり、フランス・
ノルマンディーで取り組んでいらした「林檎の礼拝堂」の
プロジェクトに写真家として協力しているという話を
伺ったのがきっかけでした。確か、「夏休み、どこに
行ったんですか?」とかいう、軽い会話が発端だったと
記憶しています。

アートディレクターさんから話を伺って並々ならぬ関心を
示したところ、雑誌記事のコピーやTV番組のビデオを
頂いたり、1996年12月にはその当時、新宿河田町にあった
フジテレビギャラリーで開催された田窪さんの個展も
お知らせ頂いて観に行きました。(東京での個展は、
その1996年以来だったそうです。)

その後、2002年頃、新聞で講演があるのを偶然見つけて、
駆けつけたこともありました。そういえば、2007年には
芸大美術館で開催された「金刀比羅宮 書院の美」も
観に行きましたっけ。

この15年、常に心の片隅にはずっと田窪さんの存在があり、
インスパイアされ続けています。

さて、7日に行った際、こんぴらさん(金刀比羅宮)の椿書院を
原寸大で再現した展示室で椿の襖絵の公開制作をされていました。

田窪さん本人がオイルパステルを右手に、椿の写真を左手に持ち、
襖の前を行きつ戻りつしながら、椿を描いていました。
その集中力たるや、驚くべきものでした。

私が到着してから15分ほど経った頃、疲れてこられたのか、
描く手を休めて観衆に「何か質問、無いですか?」と
話しかけれられました。

「サインください!」とお願いした方々に便乗して、
私も持参した田窪さんの著書「表現の現場」を差し出して
サインをお願いしました。

「表現の現場」は2003年に出版された本ですが、
今は絶版になっているようで、田窪さんも
「わー、こんな古い本をよく持ってましたね!
しかも、これ初版だし!!」と喜んでくださいました。

サインを頂いたあと「何か(質問)無いですか?」と
おっしゃられたので、図々しくも2問ほど伺いました。

一つめは「田窪さんにとって『美術』と『芸術』の違いは何ですか?」
二つめは「十年仕事を続ける原動力は何ですか?」。

かなりたくさん答えてくださったことを、あくまでも
私が受け取った範囲でまとめてみると、田窪さんにとって
『美術』は主観を通じての表現であり、『芸術』は
客観的なものであり、他者が決めるもの、あるいは
時代を経て評価されるものです。

「『文化』と『文明』の違いのようなものですよ」とも
おっしゃっていました。

フランス、こんぴらさんと十年単位での仕事を続ける
原動力は、他の誰もやっていない方法や対象を探し、
試し、実践し、表現することだそうです。

(上記の文責は私にあり、田窪さんがおっしゃられた
意図とは異なる可能性もあります。念のため)

田窪さんの話を聞いて、震災以来ずっと考え続けている
問いに新たなインスピレーションを頂いたように感じました。

その問いは究極的には「人は何のために生きるか?」
「『生きる』ことに意味はあるのか?」ということです。

まだ明確な答えは出てこないものの、田窪さんとの
出会いによって、問いと向き合い続ける心のスペースに
光りが差し込んだような思いがありました。

今後も田窪さんの動向を追いつつ、作品にもふれる機会を
増やしていこうと思います。

林檎の礼拝堂 La chapelle des pommiers
田窪 恭治
4087811654

表現の現場―マチス、北斎、そしてタクボ (講談社現代新書)
田窪 恭治
4061496611

りんごの礼拝堂 (月刊 たくさんのふしぎ 2007年 12月号)
B000XG7DQK

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