多数決の作った世界に未来はあるか?

地震の日の3日前に鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画
ミツバチの羽音と地球の回転」を観てきました。

中国電力が山口県上関町に建設しようとしている上関原子力発電所
建設反対運動を主題にした映画です。エネルギー、電力、政策、国策、
市民運動、住民運動、環境保護、生態系保護、絶滅危惧種あたりが
キーワードです。

日本のエネルギー政策の原子力かつ化石燃料への依存度の
高さの比較対象として、スウェーデンにも取材して、
現地の自然/代替エネルギーの発展ぶりも取り上げていました。

原発が環境にもたらす悪影響については、3・11以降、
マスメディアでもかなり取り上げられていますので、
ここでは言及しません。

私がこの映画で最も気になったのは、実は「多数決」です。

映画の途中で町議会の投票が行われます。原発反対派は
議会では少数派であり、投票には負けます。

このシーンを観て、今、この国に歪みや綻びが生じているのは、
多数決が理由なのではないかと直感しました。

Wikipedia「多数決」にはこのように書かれていました。

単純な多数決は衆愚政治へとつながる危険性をはらんでいる。多数決はつねに少数意見の無視をともなう「多数派による専制」(トクヴィル)の側面があり「最大多数の最大幸福」(功利主義)がもたらす倫理上の負の側面をつねにはらむ。

極端な例ですが、賛成51対反対49の場合、約半数が反対であっても
多数決なら負けます。約半数が賛成しないことを、是としてしまう、
これはまさに暴挙です。でも、これが政治の場でも、おそらく
企業経営の場でも、繰り返されてきて、「今」が出来上がって
しまったのではないか? という仮説を持ちました。

多数決は当然ながら民主主義に深く関わることです。私自身、
まだまだ不勉強なので、まずは基礎的な事について
もっと知ることから始めて、考えを深めていこうと思います。

3・11から2週間

今日で地震発生から丸2週間となりました。

福島第一原発の状況は予断を許さないものの、
地震の直後に比べれば、私の周りに漂う雰囲気は
だいぶ落ち着いてきたように感じています。

この2週間、余震が度々起こり、原発の状況が
刻一刻と変化し、有ったり無かったりする計画停電に
翻弄されるという、不確定な状況は誰もが初めて経験する、
常ならざるものでした。

この非常さにも、もうしばらく続くと慣れてきて、
夜の町が暗いこと、店が早く閉まること、
店の品数が少ないことも、ごくあたりまえの
「日常」になるかもしれません。

(余談ですが、1998年に4ヶ月間滞在したSwedenの町、
Lundは、平時が今の非常時と同じような感じでした。
夜の町は真っ暗で、店は夜6時に閉まり、商品の種類も
少なかったですが、じゅうぶんに豊かでした。)

実は、ピークオイルや気候変動ではなく、今回の震災こそが、
私たちの生き方の「トランジション(Transition)」=移行を
後押しするのではないかと感じています。

トランジションとは