Doing Nothing

このところ友人や仲間に会うと、
ほぼ必ず聞かれる質問があります。

ひとつめは「忙しい?」。

ふたつめは「最近は何してるの?」

ひとつめの質問への答えは
「暇ですよ」。

ふたつめの答えは
「特に何も(してないですよ)」。

どちらの答えにしても、すんなり受け取られることは少なく、
反応としては軽い驚きと困惑が入り混じったものが
返ってきます。

わたしが答えた後は会話が続かないことがほとんどです。

相手が面食らう、その反応がなんだかおもしろくなってきて、
最近ではあえてやっていたりもするのですが(笑)。

実際は寝たきりや引きこもりになっているわけでもなく、
仕事もしているし、Yogaに行ったり本を読んだりしていますが、
質問者が期待している文脈においては、わたしは「暇」であり
「何もしていない」ことになります。

何もしていないと、誰かに認知されたり賞賛されたりすることもないし、
成果や実績として残るものもありません。

自分では無為に過ごしているとは思っていないし、
充実感もあるし、退屈でもありません。

何かを成すことに価値を置いているかぎり、
今わたしが意図的に選択している「何もしない」ことは
奇異に映ることでしょう。

ずっと長い間、何かを学んだり、新しく立ち上げたり、
イベントやワークショップやプロジェクトの実現に
奔走したりすることを続けてやってきたからこそ、
それらとは真逆の、今いる境地にとどまることが
できるのだろうと推測しています。

しばらくは、このDoing Nothingを続けてみて、
自分のなかに現れてくるかもしれない、
あるいは現れないかもしれない、
Somethingを待っていようと思っています。

Vacation in Karuizawa

今年もまた、軽井沢に行ってきました。

毎年と変わらず、三度の食事は自分たちで作り、アウトレットを
冷やかしに行き、町(=旧軽銀座)にお土産を買いに行く、
というだけ。お土産も同じ店で同じものを買います。

行き始めたころはテニスをしたり、観光名所に行ったり、
外食しに行ったり、BBQもしましたが、最近はしなくなりました。

木立ちを抜ける風の音、せせらぎ、鳥のさえずりに耳を傾ける。

地元産の野菜で作るパスタ、地元の店特製のソーセージやハム、
地元のスペシャルティコーヒー店お勧めのコーヒー、
友人手作りのジャム等々を堪能する。

久しぶりに会った友人とお互いの話しを聞き合う。

買い物途中の道で、苔むした庭のみずみずしさ、
ひょっこり生えてきたキノコの愛らしさに、目をとめる。

これだけで、じゅうぶんに満たされるのです。

新奇なものがなくても満たされることを確認しに行く場が、
私にとっての軽井沢なのかもしれません。