SM断食、明けました

ご無沙汰しておりました!

早いものでもう12月。今日は国際エイズデーですね。

11月1日から30日までの1ヶ月、私は「ソーシャルメディア断食」を
行っていました。

(ここでいう「ソーシャルメディア(SM)」とはTwitter、Facebook、
mixi、ブログを指しています。PC・携帯メールは含みません。)

私が決めた断食のルールは、SMへのアクセスを極力控え、
例外としてFacebookの誕生日メッセージの書き込みと
数を限った「いいね!」や友達の投稿へのコメントは可、
とするものでした。

断食前は、TwitterやFacebookのタイムラインを日に数回眺め、
自分からも発信したりコメントしたりRTしたりするのが習慣に
なっていました。

「いいね!」がついたりコメントをもらったりして反応があると
嬉しく感じたりもしていたのですが、タイムラインを追うことによる、
エネルギーの消耗や疲れもまた感じていました。

食べるものにはかなり気をつけているのに、体内に取り入れる
という意味では同じなはずの情報には無頓着というのも
アンバランスだと思い、SM断食を思い立ち、実行しました。

断食を始めた数日間、何か体験すると、「Tweetしたい!」衝動に
かられては自制する、繰り返しでした。ほんとの断食中の、
「食べたい!」衝動と同じですよね(笑)。

また、最初のうちは自分が世界から分離し、孤立したような感情を
味わいました。もちろん現実社会では日常生活を営み、
仕事をしたり友人と会ったりしているのにも関わらず、です。

2週間を過ぎた頃から、受発信しないことにも慣れてきて、
そのせいなのか内なる心の対話がより活発になり、
10月から始めた日記を書く回数が増えてきました。
また、瞑想する時間や回数も増やすことができました。

SM断食を経験してみての気づきは多々ありました。

まず、すでに10年以上、ある程度の頻度やコミットメント度合いで
Web上での発信を続けてきたことから、自分の考えや気持ちを
言葉で表現し公開の場でシェアすることが、私の精神生活の
一部となっていたことに気づきました。

私にとって、言葉で表現することは、幼少のころから好きで
得意だったことでもあり、考えをまとめることも創造性も発揮でき、
桑原幸子という名前と個性をもった人間が生命を与えられている
この世界へのささやかなながらも「Gift」なのだ、ということにも
思いあたりました。

もし、自分にすこしでも差し出し分かち合えるものがあるのなら、
それを出し惜しむことはするまい、とも思いました。

今後も折を見てSM断食で心を浄化しながら、表現や発信を
続けていこうと思います。

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このブログ、Twitter、Facebookをお読みくださっている皆さま、
いつも本当にありがとうございます!

このところブログはあまり頻繁に更新していませんでしたが、
まとまった文章を書けるスペースとして活用していこうかと
思います。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします!

御蔵島デビュー

先週末の10月6日から9日にかけて、伊豆諸島・御蔵島(みくらじま)に
行ってきました。

去年から理事をつとめているNPO法人海の環境教育NPO bridge主催の
ツアーに参加したのです。

実は、理事のくせにメインフィールドである御蔵島に行くのは初めてでした。

まさに、百聞は一見にしかず。

今まで散々、御蔵島の海、森、イルカ、巨樹、オオミズナギドリ、
南郷の古民家の話は聞いていたけれど、実際に自分の目で見て、
耳で聞いて、匂いをかいで、肌でふれてみると、やはり大違い。

他人ごとではなく、自分ごととして、感じてみると、
気づいたことがたくさんありました。

海のなかで、すぐ近くを野生のイルカが泳いでいくのを見る。
南郷の森で、オオミズナギドリや虫の声を聞く。
太陽、月、星の光りの明るさやあたたかさを感じる。

気づきがうながされたのは自然体験だけではありません。

電気・ガス・水道がない、ほんのちょっとさかのぼれば
日本でもあたりまえだった暮らしを体験してみて、
ふだんの暮らしの便利さをありがたく思うと同時に、
便利すぎるがゆえに失ったものの大きさを想像しました。

どんなにITが発達しても、リアルでなければ、
その場にいなければ、感じられないものがある。

ごくごく当たり前なことだけれど、都会に暮らしていると、
うっかり忘れてしまいそうなことを思い出した、
素晴らしい機会になりました。