「できること。」を超える

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前回の記事『「いま、○○にできること。」にできないこと』を
UPして以来、問いを持ち続けていたら、見えてきました!

私の居心地の悪さの原因は、「いま、○○にできること。」
というフレーズが句点(まる)で終わっていることに由来する、
閉塞感や制限あるいは限界にあることに気づきました。

「できること。」と言い切ってしまうと、みずから可能性の
限界や制限を設けて、これ以上のことはしませんできません、
と宣言しているように、私には感じられるのです
(私だけかもしれませんが)。

少なくとも、東日本大震災や原発事故の被災地の支援は、
「まる」を付けて終わらせてしまえるようなものだとは
思えません。ここまでやれば、はい、終わり、といった
ものではないのです。

むしろ、「今、私たちにできることは何だろうか?」と、
絶えず問い続けていくもののはずです。

このことは社会的課題への取り組みと同じで、
中期的展望に立ち、受益者の要望や社会環境の変化に
柔軟に対応し、PDCAサイクルをまわしながら、その時点の
リソースで実行できる支援策を実践し続けていくと、
何かしらの成果が生まれてきます。

翻って、私たち個人も、まずは自分自身が担っている
仕事をつとめたうえで、自分にできることは何か?
どのように?いつ?誰と?どこで?と、
ひたすらに問い続け、行動に起こしていくのです。

そうすることで、「できること。」の限界は超えていけるん
じゃないかと思います。

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