今のハケン先に勤めて、もうすぐ1年になりますが、
この間に、知ったことがあります。
私がいる営業本部は月に何億円もの経費予算を使って、
TV・ラジオ・新聞・雑誌の4マスに広告を出しています。
その広告を出すのを急に止める場合どうするか、
皆さん、ご存知ですか?
止めるといっても、広告枠はずいぶん前から予約しています。
「今日の18時にプレスリリース出すから、
その後、全部ストップ!」みたいな、直前では、
当然、キャンセルがききません。
キャンセルがきかないと言っても、
テレビもラジオも放送は止められないし、
新聞は印刷されてしまうので、
そんな場合は、広告費用を負担したうえで、
「♪AC~」のサウンドロゴでおなじみの、
公共広告機構のCMや広告に差し替えします。
そう、あの♪AC~のCMが流れたり、掲載される時は、
どこかの会社のCMや広告が
「落ちた」=流せなくなった時なんですね~。
♪AC~のCMって、最近だと、「子どもを抱きしめよう」とか、
「HIV検査を受けましょう」とか、環境への意識を高めるもの
だったりして、見ごたえがあるものが多いし、
人の気付きや意識の変化をうながす内容ですよね。
広告を出す費用の元をたどれば、
お客様からお預かりしたお金です。
でも、その広告費を使って、言わば「代役」として、
♪AC~が流されるんです。
それを「社会還元」「社会貢献」と言うと聞こえはいいのですが、
裏側を知ってしまうと、何かすこし、違和感を覚えずには
いられません。
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「いいことをするのは後ろめたい」
ある人と話していた時のこと。
その人が、ぽろっと、
「いいことするのって、なんか後ろめたいんですよ。
「たとえば、駅前で赤い羽根の募金とかしようとすると、
周りの目が 『なんだ、こいつ、いい人ぶって』
って言ってるように 感じますよ。
普通の人は、だいたい、そうだと思います。」
と言いました。
ええええええ~~~!
「いいことするのは後ろめたい」とは。。。
自分が人前で「いいこと」をするのは、
気がとがめる、ってことですよね。
私にはまったく思いもよらない視点だったので、
ものすごぉーく新鮮に、びっくりしました。
これが、真実かどうかはともかく、
人々が持っている、一つの視点ではあるんですね。
私が持っていない、この視点に気が付かせてもらって、
自分の今までの経験が、ある部分、
「なるほど、そういうことだったのか」と、腑に落ちました。
たとえば、お年寄りに席を譲るとか、
電車内で気分が悪くなった人のケアをするとか、
今まで、たくさんの場面に出会ってきて、
「なぜ、大多数の人は無視するんだろう?」と
常々、不思議に思ってた謎が、
ようやく少し理解できました。
「いいことをする」という行動に対しては、
様々なリアクションが起こると思います。
(どんなことが「いいこと」なのかの定義は、
ここでは、一旦、脇に置くことにします。)
無視する。
受け流す。
見て見ぬふり、寝たふりをする。
できない(しない)言い訳をする。
関わり合いを避ける。
批判する。
非難する。
嫌がらせする。
攻撃する。などなど
これらのリアクションすべてが、
「後ろめたい」から、だとすると、
何だか分かる気がするんです。
まぁ、いずれにせよ、
そもそもの「いいこと」はしてないんですけどね。
「いいことをするのは後ろめたい」というのは、
その人が何か行動を起こすための判断基準を、
「他人の目」にしているか、
それとも、「自分の心」にしているか、
そういうことだと思うんです。
それが、社会にとって善とされることであると、
「後ろめたさ」のハードルはより高くなるのかもしれません。
「後ろめたさ」を持たずに行動したいと思うのなら、
なにか行動を起こすときに、
「他人の目」に自分を従わせているか、
「自分の心」に従っているか、に
気付きを持ち、それぞれにどんな気持ちがするのか、
ひとつひとつ、自分で確かめていくといいと思います。
そして、私自身は、
「いいことするのを一瞬たりともためらわない」
そんな人間でありたいと思います。
今の私はこれが完全に出来ているわけではありません。
つい、自動的な、無意識な反応をしてしまうことがあります。
だからこそ、目指したいと願っています。